『グリム童話』刊行200年 - 日独交流事業でドイツ語学習者数が増える?-              

田中 雅敏

 去る2012年は、筆者にとって『グリム童話』一色の一年となった。私が勤務する東洋大学(1887年に私立哲学館として創設)の創立125周年記念事業の一環として、同年10月20日に『グリム童話』刊行200年を記念する国際シンポジウム「グリム童話200年のあゆみ―日本とドイツの架け橋として」を開催すべく、同僚の大野寿子氏(東洋大学文学部)が準備を進められており、“シンポジウムの司会と通訳の役目を引き受けてもらえないか”という筆者への打診とともに2012年が明けた。

 http://www.toyo.ac.jp/site/lit/news-6399.html

 グリム兄弟によって収集刊行されたこの童話集は、原題をKinder- und Hausmärchen といい、日本語では『子どもと家庭のためのメルヒェン集』と訳されている。いわゆる『グリム童話』というのは通称である(本稿でも以下、この童話集のことを『グリム童話』と称することにする)。第一巻の初版が刊行されたのが1812年であり、2012年がちょうど200周年の節目にあたったわけである。……とわかったようなことを書いているが、正直に告白すると、私は『グリム童話』を研究する専門家でもなければ、『グリム童話』の話をほとんど原語で読んだことのない人間である。『メルヒェン』も『メルヘン』も同義だろうと勝手に決めつけてしまうレベルであったし、日本の多くの子どもたちと同じように、「子ども」のとき、まさしく「家庭」で読み聞かせてもらった記憶がある程度である。むしろ、グリムといえば、1854年に第一巻が刊行された Das Deutsche Wörterbuch von Jacob Grimm und Wilhelm Grimm(いわゆる Grimm-Wörterbuch)のほうが身近である。この辞書を広島大学文学部に入学(1993年)して間もなく、独文研究室(当時まだ東千田キャンパスにあった)の資料室で初めて手にとったときに、その歴史の深みと重厚さに感動したことを思い出す。そのような“グリム童話初心者”の筆者が通訳などおこがましく、また無事に務められる自信もなかったが、このシンポジウムは大学創立周年事業のひとつであり、東洋大学で世界第一線のドイツ語学ドイツ文学研究が行われていることを知らしめる好機である、と説き伏せられて、部分的に協力をするという条件で承諾した。
 本シンポジウムは、「グリム童話は本当に童話なのか?」、「古代研究者グリム兄弟の実像にせまる!」と銘打たれる予定であると聞き及び、早速、2011年度後期の授業が終わると、『グリム童話』に関連する書籍をいくつか購入し、「グリム(童話)研究」について予備知識を頭に入れておこうとした。ところが、「グリム(童話)研究のいま」を “グリム童話初心者”に向けて書いてくれているような「専門研究書」には出会えなかった(これは宣伝になってしまうが、筆者がこの度共著で刊行した『講座ドイツ言語学 第一巻―ドイツ語の文法論』(岡本順治・吉田光演共編、ひつじ書房、2013年)では、初心者の人にも読んでもらえるような平易な解説を心がけたが、それでも専門的な内容を平易に伝えようとすることの難しさは痛感した)。大衆向けの書籍では販売部数を増やすために面白おかしく書いてあるだけであったし、専門書では初心者には理解不能であった。
 そこで、大学の入試業務の合間を縫ってドイツに出かけ、現地で「グリム(童話)研究」の現状を探って来ようと思い立った。このドイツ訪問には、グリム・シンポジウムの準備のためという理由づけもあったが、もう一つ、東洋大学が学術協定を結んでいるマールブルク大学(あるいは大学のあるマールブルク市)を一度訪れてみるという意味合いもあった。学生に交換留学を薦めている手前、その派遣先のマールブルクを一度も訪問したことがないのは説得力を欠くかもしれないという思いからである。入学試験の複線化により、3月入試が実施されている本学では、入試合格者判定会議が3月半ばに設定され、また、下旬には卒業式・学位記授与式の担当業務もある。それが終わるとすぐに新学期が始まるため、実際にドイツに行けたのは4泊 6日が限度であった。
 早速、到着翌日(2 日目)、「グリム兄弟博物館(Brüder Grimm Museum)」に行って、目的の「グリム(童話)研究のいま」をリサーチしようと思い、カッセルに向かった。しかし、その列車の中で気が付いた…この日は月曜日だったのである。 8年ぶりのドイツで、「月曜日は博物館の休館日」という感覚もぬけてしまっていた。使える日程が限られていたので仕方がないが、事前準備をもっとしっかりしていれば、ドイツ国内を移動する行程を少し工夫できたかもしれない。これでは何のために来たのかわからない。カッセルの後、まだ行ったことのなかったハーメルンに行ってみようと思いたち、移動した。ハーメルンでも博物館や資料館は休館なので、せめて『ハーメルンの笛吹き男 (Rattenfänger)』に関係するものだけでも見て帰ろうと思ったのである。ただし、このときはタイミングが悪かったのか、ハーメルンの旧市街地は工事中で、お世辞にも景観が良いとはいえなかった。


その日はブレーメンに戻り宿泊し 、3日目にベルリンの旧友を訪ねた後、4日目(最終日)はマールブルクに移動した。市庁舎の裏を少し行くと、マールブルク大学の昔の建物(今もこの建物には大学の改革派教会がある)があり、その建物の壁面にグリム童話『星の銀貨 (Sterntaler) 』の記念レリーフが飾られたようだが、(またまた!)タイミングが悪く、筆者が日本に帰国したその日にレリーフの除幕式が挙行されたということであった。 ここからは、インフォメーションで入手したグリムによる観光・町おこしの資料『 Marburg an der Lahn – Der Stadtführer 』を片手に、グリム兄弟の足跡をたどってみる。
 
市庁舎広場の目の前の通りに面して、グリム兄弟がマールブルク大学法学部生だったときに下宿していたという建物がある (Barf üßerstraße 35) 。兄弟は、この建物の 2 階の、向かって右手の坂道に面した小さな部屋を借りていた。その坂道はお城に通じており、らせん階段を登り、階段の出口を出て、後ろに見えるルター派の教会の前をさらに登っていくと、グリム兄弟が法律学・文学・民俗学を教わった恩師であるサヴィニー教授 (Prof. Friedrich Carl von Savigny) の家に着く。グリム兄弟はサヴィニー先生に見込まれ、先生の家によく出入りしたようであるが、下宿先から丘の中腹にある先生の家までは、坂道とらせん階段の往復である。筆者も、グリム兄弟をしのびながら、同じルートを登ってみたが、息が少し切れてしまった。グリム兄弟はサヴィニー教授の家で、ブレンターノ (Clemens Brentano) 、フォン・アルニム (Ludwig Achim von Arnim) と知り合いになっている。この二人は、ドイツの民衆詩集『少年の魔法の角笛』 (Des Knaben Wunderhorn) の編者であり、この出会いをきっかけに、グリム兄弟はメルヒェンを収集するようになったと言われている。

 

 さて、駆け足のドイツ旅行から帰国すると、間もなく新年度が始まり、 『グリム童話』、「グリム兄弟」について勉強する時間がほとんどないまま春学期が過ぎた。秋学期開始直前に、国際シンポジウムと同時開催の「グリム兄弟博物館ミニ・コレクション」(東洋大学井上円了記念博物館)で展示される展示ボードの原文(展示に向けてこれが日本語に翻訳された)が手元に届き、それを教材として準備した。




当日は、研究者、一般の方、学生、教職員など約 500 名の参加者があり、 『グリム童話』 がどのように日本に浸透したのか、グリム兄弟を生んだ故郷ヘッセンとはどんなところなのか、 『グリム童話』 の挿絵が担ってきた役割はどのようなものだったのかなど、「グリム」がさまざまな角度から検証された。筆者の出番は、シンポジウム冒頭のドイツ学術交流会( DAAD )東京事務所所長ホルガー・フィンケン氏の来賓の挨拶の通訳、及び、あらかじめ翻訳しておいたマールブルク大学民俗学研究所所長カール・ブラウン教授からの祝辞の朗読などであった。途中、前マールブルク大学教授、現チューリヒ大学教授のハルム = ペア・ツィンマーマン氏の基調講演のところで、機材のトラブルが発生し、場つなぎのためツィンマーマン氏と即興でトークをすることになるなど、無事に役目を果たせるか不安でいっぱいだった筆者にとってはスリル満点であったが、なんとか務めを果たすことができたと言える。

 


 続いて、 2012 年 11 月には非常勤講師としてお世話になっている東京外国語大学で 2011 年度に授業を担当したドイツ語学科の学生たちが「語劇」として『二人の兄弟と二つのメルヘン』というグリム兄弟とグリム童話にちなんだものを発表することになっており、学生たちから特別招待券をいただいたので、見に行った。内容は、グリム兄弟が各地を歩いて伝承物語を収集(蒐集)し、『グリム童話』として編纂していく過程や、兄弟がゲッティンゲン大学教授時代に巻き込まれることになった、いわゆる「ゲッティンゲン七教授事件」の顛末などを描き、その合間に、『ホレおばさん』『ガチョウ番のむすめ』が作中劇として挿入された。とてもよく演じられており、ドイツ語専修学科の学生の実力を堪能できた。

 このようにして 2012 年は、筆者個人にとって『グリム童話』一色の印象深い一年であったし、また、様々なところで「グリム」関連の催し物があり、 2012 年は日本国内で「グリム」を主軸とするドイツ語圏文化・文学・歴史などが何かとメディアに取り上げられた年であったように思われる。このように日本でドイツ語文化圏関連のイベントがあるときには、ドイツ語学習熱が高まるものである。過去には、サッカーワールドカップドイツ大会( 2006 年)で日本が躍進したり、「日本におけるドイツ年( 2005/2006 年)」が展開されたりして、一時的に大学でもドイツ語選択者数が増えたことは記憶に新しい。 2013 年度も、いざ新学期が始まってみると、日本全国の多くの大学で、ドイツ語選択者数が激増したように多方面から聞いている。これは「『グリム童話』刊行 200 年」効果だったのだろうか。なお、一部には、これはドイツ語履修者数の絶対的な増加ではなく、他の初修外国語(第二外国語)の履修者が減ったので、相対的にドイツ語が増えただけであるという見方もある。日本が抱えている外交摩擦のようなものが、大学一年生の外国語選択に影響したのだ、とする説である。自分が 18 歳のときには、社会情勢をキャッチして、それで外国語選択の目先を変えるような視野はもっていなかったことを考えると、大学一年生(あるいは入学手続中にある高校三年生)がこのような外交問題を敏感に察知し、それで特定の外国語の履修を回避しているとすれば、いまの 18 歳たちは “さすがグローバル化推進時代の視野をもった若者たちである”と言えるかもしれない。「メルヒェン (Märchen) 」という語は本来、「童話」、「民話」、「昔話」、「笑い話」などを含む「短いお話」を意味し、「メルヘン」という語とは明確に区別される(ということを今回学んだのだ)が、多くの日本人にとって「童話」は「メルヘン」であり、「『ふわふわした』、『かわいらしい』、『乙女チックな』イメージ」(前出の大野氏)を伴う。ドイツは「メルヘン」「ロマンチック」というキーワードの下でたいへん人気がある。一年間、広く浅くながら「『グリム童話』刊行 200 年」に携わった一人としては、『グリム童話』の日本のメディアでの露出が、ドイツ語学習者数を伸ばした、と信じたい。

 

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